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分離唱研究 その5 音楽と文学 [分離唱研究]

音楽文学
 こんな題名を付けてみたものの、難しい学問談義のためのものではありませんヨ。
 別の言い方をするならば、『音とことば』ということでしょうか。『餅屋は餅屋』と言いますね。それぞれの得意分野ということでしょう。私たちは人生の潤いのためにさまざまなことに挑戦しています。ある人はスポーツを通して、またある人は絵を描いたり、野菜を育てたり、そして合唱したり、カラオケしたり、バンドを組んで演奏したり、読書もあります。いったいどれほどの生き方があるのでしょうか。見当も付きません。
 そんななか、『音とことば』の『音』というのは、音を奏でることによって音楽で表現することのできる世界をわたしたちの心の中に出現させるのです。また、『ことば』について、文学はことばの世界観によって読む人の心の中に文字の力によってその目的とする世界を心の中に出現させるのです。
 音楽は言葉で表すことのできない『響き』という音楽の世界から私たちの心に働きかけて独特の世界へ誘ってくれます。文学は同様にことばの力により私たちの心に働きかけてこれまた独特の世界へと誘ってくれるのです。
 ことばから入る世界と響きから入る世界とは同じかどうかはわかりません。似ているかも知れませんが少なくとも音楽は音による刺激が初めにあります。そこにはどうやら事前準備に当たるような基礎知識は必要ありません。しかし、文学はその文字を読解できるだけの能力をもった人だけがその特殊な世界へと入ることを許されます。
 音楽が世界共通語と言われる所以はこんなところにあるのでしょう。

 さて、音楽を楽しむのに基礎知識は必要ありません、と言いました。ところが、音楽を様々に解説する人が出てきました。解説するために『ことば』という文学のちからを借りているんですね。先ほど述べたようにことばは単にことばであってそれは文学のためのツール、道具なんですね。文学のための道具で音楽を知ることはできません。なぜならそれぞれがそれぞれの得意分野で活動しているのですから。音楽は音によってでしか表現することはできないんです。それは音の世界、響きの世界なのです。
 そういえば、テレビでは『グルメレポーター』なる人が存在し、あちこちの店に立ち寄って料理を口に運び、「んーん、おいしい」「この食感は宮城産の鮑に似ている」「風味もよし」などといって視聴者の口中のヨダレを誘うのです。しかし、どう言ったところでどう表現したところで実際に自分の口で食べることに勝てるはずもありません。
 音楽家は音の響きの中で人を誘う以外に手段はないのです。『音屋は音屋』、『言葉屋は言葉屋』ということでしょう。音楽家が言葉屋に魂を売ってしまったならもう音楽家ではないのです。


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