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三月の活動 [ハルモニア活動]

スギ花粉の飛散の季節。これからは花粉症の人にとっては辛い季節となりました。
さて、三月のハルモニア合唱団は月末25・26日に春合宿を行います。
団員の皆様、申し込みは済みましたか?
三月三日までに団長にお伝えください。
郵便が間に合わないようでしたらメールか電話でも構いません。
以下に予定を簡単に記しておきます。

平成29年ハルモニア合唱団の春合宿
3月25日 午後1時、ペンションふぁみりいに集合。
     午後2時から練習開始。
3月26日 正午に昼食をとり、その後現地解散。
  以上

ハルモニア夏合宿の感想 [ハルモニア活動]

■ハルモニア夏合宿の感想■

 今回はハーモニーの根源に迫ることのできた合宿だったと思う。
 河口湖畔では多少の暑さはあったものの、それらがハーモニーの妨げになることはなかった。『聴く』ことのできている仲間たちによる合唱はきいていても心地の良いものでした。
 ひゞきの一つ一つを大切にして、うたう者全員がひゞきの中に溶け込んだ。このようなハーモニーをつくることは普通考えれば不可能に思えたものです。
 このようなことを思うと、長年やってきた分離唱のおかげだと思えた合宿でもありました。

《なぜ分離唱ハーモニーは普及しないの?》
「なぜ分離唱ハーモニーは普及しないの?」とは、よくきく言葉です。
思うに、これは分離唱ハーモニーが他の合唱と敵対しているからではなく向かっていく方向性の違いによるものでしょう。
私たち合唱は、演奏会を目標としない。
 むろん否定している訳ではありませんが、演奏会を開くことのできるほどの規模がないから、できないということです。
 また、遠距離から集まっている仲間なので合唱練習自体そうそう頻繁には出来ない。月一回がせいぜいです。
 そして、この活動の宣伝を熱心にはしていない、ということ。もっと人に伝える努力をすれば規模も拡大するでしょうがそれはしていませんし、する術もありません。
今の私たちの規模では人数が一気に増えると、耳をひらいていない人に対してはすぐにアップアップしそうです。
初めから未体験者を対象にやるのならば別ですが、その差(聴く能力の違い)は余りに大きいです。
増えてくれるにしても、少しずつでないと無理です。

《ハルモニア合唱団の姿》
私たちは月例合唱練習の日に目一杯うたって、その時に充実感をもって過ごすことを常としています。
これは一期一会の精神です。演奏会を開かない以上、それに代わるほどの、いやそれ以上の収穫がなければこの活動は続きません。
このことがあるからこそ、今日まで続いてきたのだと思います。

私たちはハーモニーを通して音楽を自身の内奥にまで迫るものを追究しています。
従って、深くなればなるほど緊張感にあふれたものとなります。これは充実感となって私たちの心に残ります。
これだけは他の団体には決してひけはとらないと思っています。むしろ私たちの誇りでもあります。
このような体験を求めるような気持ちのない人にとっては私たち合唱はあまり役にたちません。むしろ煙たいかも知れません。

分離唱ハーモニーが拡がることは、私たち仲間の望むことではあります。
しかし、私たち自身が『耳をひらく』ことに不完全であったなら、人が増えたところで何の意味もありません。
それ故に、今日まで一人一人が耳をひらくことを目標に努力してきました。
生きていくうえで、『人間として本当の自己確立をする』ということです。また未熟な人間のままで、不完全な人生を送りたくないということです。

もう一つ。おそらく素直な心の持ち主でないと、分離唱ハーモニーには絶対になじめないでしょう。
逆に、その性質が素直であればその日から私たちの仲間になれることでしょう。

今回の夏合宿を振り返ってみても、現団員はほぼ耳をひらくことができたのではないかと思います。 それは、透明感のあるハーモニーをみればよくわかる。

そんなことを感じた夏合宿でした。

2013年6月 月例 [ハルモニア活動]

今年に入ってからの私たち合唱のひゞきは透明感が増した。
相変わらず練習の初めに分離唱訓練を施した後、カデンツ等を行う。

実のところ、それから出る響きも声を出す前から想像がついている。

分離唱訓練は大きく分けて二通りの意味がある

一つは、調号によるひゞきの違いを感覚的に記憶していくこと。
もう一つは『聴き方』を体で覚えること。

これは施術者がわかっていないと出来ないことです。

やり方だけ覚えてピアノをポンポン叩いてみたところで、まず失敗するでしょう。

分離唱なんて、こんなものかと切り捨てる人はそれで終わり。

しかし、洞察力にすぐれた人ならば自力で理解することも可能かも知れない。

なぜなら、分離唱を考案した佐々木先生にはもともと教えてくれる人はいなかったのだから。

このブログを読んで下さるみなさんの幸運を祈ります。

また、質問などありましたら、遠慮なく書き込んでください。

7月は私たち合唱団の夏期合宿です。

10月 月例練習 [ハルモニア活動]

団員の方から、メールをもらいました。

分離唱によるハーモニーというものは神秘的なものではありません。なにやら謎めいたことを話せば分離唱を受ける人に対して優越感を持てるなどと思う方(先生)もいらっしゃるかも知れませんが。そんなことはありません。
それは錯覚です。

但し、ハーモニーそのものは頭で理解できるものではないと思います。

分離唱を受けた人が頭で理解しようとするとトンチンカンになってしまうことは往々にしてあります。

ハーモニーを自分の外部に求める人はその第一歩から誤りなのです。

ハーモニーは己自身をさらけ出すことを要求するのです。

以前話したことがありますが、ハモるという作業は自転車に乗れない人がその乗り方を練習することに似ています。
私はそんな人の介添え役として見守る訳ですが、ハモることができた人がそのハモり方を忘れない姿は上手く癖付け出来た人にたとえられます。

今日の練習で、自分のパートを誤って覚えたことにより、常に誤って歌ってしまうという癖。
そんな話をしましたが、「初めに身についたことは後に中々変えられない」ということがあります。

ですから、初めが肝心なのですが、失敗することは多々あります。
ハモり方は、自分が身についた状態になっていれば、そしてそのことの自覚があればいつでもハモりの状態に自分の身を置くことが出来ます。

たとえるなら、人の介添えなしに自転車に乗れるようになったようなものです。
そうです。このことが第一です。
出発点ということですね。
また、がんばりましょう。

夏合宿を終えて [ハルモニア活動]

天候は、夏から一気に梅雨空に逆戻りしたようだった。
例年ならば、高地特有の日差しの強さに河口湖に来た実感を感じたものだが、ことしは皆、寒かったようだ。

そのためか良く集中し、練習場の広い空間にハーモニーはよく響いた。
恐らく、これまでで一番のできであったろう。
二泊三日が短く感じられたものだ。

合宿を終え、また日常の喧噪に戻るのはかなり辛かった。

団員の方々が、さらに進歩されることを祈りつつ、また次の目標に向けて進んでいきます。

平成24年夏合宿 [ハルモニア活動]

今年も夏合宿の季節になった。
20日から22日まで。
充実した合宿になることを望んでいる。

河口湖の湖畔、ラベンダー畑はどうなっているのだろう?

心を清澄にして行ってこよう。

では、みなさん、河口湖で会いましょう。

平成23年 5月・6月月例合唱報告 [ハルモニア活動]

季節は晩夏から初秋に向かおうというこの頃。

遅くなってしまいましたが、5月と6月の月例について簡単にお伝えします。

これらの月例は良くハーモニーしました。
数年前まで、このハーモニーの出てくるまでが苦労であったことを思いますと隔世の感があります。
しかしながら、人間の欲というものはここまであればよいという訳にもいかず、もっともっとという気持ちになってしまいます。

さて、良くハーモニーするということは、第一声からハモるということでもあります。
私たちの訓練は通常、分離唱を行った後にカデンツで響きを整えていきます。
しかし、このところ、この分離唱を行うことなしにハーモニーをつくることが出来ます。

これはうたっている団員の力が付いてきたためでもあります。
分離唱は『正しく聴く』ことを言葉による説明ではなく体全体で知ることでもあります。
それが身についてきたということでもあります。

この後、夏合宿があります。
その報告は次回といたします。

平成23年4月 月例合唱報告 [ハルモニア活動]

春合宿を終え早一ヶ月。
東日本大震災の余波を受けた春合宿であったのですが、無事に終えた次の月例だったので、どんな合唱ができるのかと内心は期待していたのだが、参加者の少ない月例となってしまった。

合唱のいのちはあたま数である。どれだけの人が集まってうたうかということで先ずその成否がかかってくる。
もともと四重唱でカルテットを組み、四人で歌うと決めているような合唱ならば一人の比重は重いものになるがそれはそれで完結する。

しかしながら、一人ひとりはソロに耐えられないような人でも、多く集まることにより立派な合唱になる。これはソロやカルテットなどでは到底味わえないような音楽が出来る。

私はこれこそが合唱の醍醐味であると思っている。

とすれば、人が集まるかどうかが一つの大きなポイントであることがわかる。しかも、強制的に集めるよりは自発的な集合であることが望ましい。自発的に集まり、そして自発的に歌い出す。これがいい。

しかし、これは 「合唱が人を選ぶ」、ということになるのかもしれない。ある種の、気の合った人同士、また同じジャンルをうたう人でなければうたえないということにもなりかねない。

別の言い方をするならば 「合唱は人を育てることが出来るのか?」、という命題に突き当たる。
ちょっとわかりにくい表現になってしまった。
目指す合唱はそのジャンルも含めて、多くの人にとって興味があるわけではない。 しかし、一度でも参加してくれた人が何らかのきっかけで興味を抱くことができたなら、それは一つの進歩だろうと思う。 これが、「人を育てる」
ということの中の一つです。

人を育てることの出来ない合唱をやるのは辛いことだ。

なぜなら、私はハーモニーの合唱は人の心を育てる。このことを信じて、そしてそれにより至高の音楽を目指してこれまで活動してきたのだから。

おもしろおかしく音楽をすることはできる。しかし、これは一時の享楽にすぎない。音楽はもっともっと深いところにその本質がある。それを見出さない限りやってよかったと言えるような音楽には巡り逢えないだろう。

おのれの内に多くの反省点を見出した今回の月例だった。

とはいえ、ハーモニーの出来自体は良かったのだ。
私がより多くを望んだにすぎない。

次回の月例はどうだろう?

楽しみにしている。

平成23年三月 春合宿 [ハルモニア活動]

三月26・27日と行われた春合宿は昨年同様、充実したものとなった。

嬉しさの一つは、ハーモニーに心を投影できるようになってきたこと。

これは一朝一夕に出来るものではない。

様々な音楽媒体が存在するこんにち、CDにしろネットで展開する音楽にしろ、その数は恐らく天文学的なほどであろう。

クラシックが全盛であった時代は過ぎ去り、多くの視聴者に喜ばれる音楽はその種類も多岐にわたっている。
クラシックを生業とする人々を芸術家というならば、より大衆に支持されている音楽クリエーターはミュージシャンといわれる。
しかしながら、その垣根も次第に低くなってきているように感じられる昨今である。

私たちの活動しているハーモニー合唱は、どうやらそのどちらにも属せない音楽のようである。

感動することも嬉しいことではあるが、それは日々の発展の一コマに過ぎないようだ。
今日の感動した音楽は、そこで消え去り、明日は明日の新しい音楽が展開される。

音楽はそもそも生きた存在であり、うたっているわたしたちの互いの命を感じ合うのである。

そこにはやさしさ・なぐさめ・いたわりがあり、それが明日への祈りと勇気へとつながっていく。

ほんとうにうれしい合宿であった。

良い体験をさせてもらいました。

平成23年2月 月例合唱報告 [ハルモニア活動]

例年、春合宿直前の月例。風邪を引きやすくまた、杉花粉の飛び始める季節でもある。
しかしながら、今回のハーモニーは前月同様安定したものとなった。

『慣れ』ということもあるだろうがこういった『慣れ』はうれしいものだ。

春合宿を楽しみに待てるような月例であった。
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