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春合宿終了 [ハルモニア活動]

春の雪は幻想的だった

 今年の春合宿は大きく趣向を変えさせてもらった。
音楽を楽しむことを主眼としたのです。今参加している仲間は分離唱をマスターしているので「ああしろこうしろ」という注意をする必要もない。声を出せばまあ、ハモる。したがって簡単に分離唱をやり、カデンツでハーモニーを整えた後すぐ歌う。あとは合唱の響きの中で歌い続けるだけ、ということになります。
 合宿前に号令をかけておいたのですが、「えぇ?」という人もいれば「気付いてはいたけれどねぇ」などと言う人もいて、一人ずつ歌おうという私の目論見は脆くも崩れ去ってしまった。
 その代わり、無理強いして歌わせた。「じゃぁ・・・」などと言いながらそれぞれが楽譜を繰って歌いたいような曲を選んだ。結果は、「楽しかった」。
 ピアノのソロ演奏を聴いたりと終わる頃は夜の10時を疾うに過ぎていた。「そろそろ終わりにしようね」などといって練習場を後にした。夏合宿には何をやろうかと考え始めた。合宿で遊ぶために月例活動をしっかりやれば良いんだと思うようになった。
 もう苦しんで音楽をするのはやめよう。楽しくやることによって充実した音楽活動ができるようになる。人は「楽しくやる」ときくと、ダラダラとやるように思うかも知れませんがそれは正反対です。強い集中力をもってやります。好きな事は一心不乱になってやるものです。これからもそんな活動をしていきたいと思いました。もう心は四月の月例活動に飛んでいます。そして、今年の夏合宿が楽しみです。

 そうそう、二日目は珍しい春の雪。落葉松の枝に降り積もった雪景色はモノトーンの写真風景を見ているようだった。まるで幻想の世界にいるようだった・・・。
 けれど、帰途につくまではノーマルタイヤの私はどうなることやらと気を揉んだ。でも、大丈夫だった。団員のみなさん、悠遊塾ふぁみりいのスタッフの皆さん、ありがとうございました。


ハルモニア合唱団、今後の活動予定 [ハルモニア活動]

《月例活動》
4月23日(日)午後1時から、国立AIスタジオにて。

5月28日(日)午後1時から、国立AIスタジオにて。

6月25日(日)午後1時から、国立AIスタジオにて。

7月22・23日(土・日)、夏合宿
  山梨県北杜市大泉町 悠遊塾ふぁみりいにて。

  最寄り駅 甲斐大泉

言論の不自由の中で・・つぶやき(2) [日記]

見識のなさ

(3月22日の新聞記事。)安倍昭恵さん、「いろいろ世間をお騒がせしている」と述べた。
自らの活動について「国、社会、弱者、世界の平和のために、お休みもなく日々頑張っている」と強調していた。
・・・ほんとうに「世間をお騒がせしている」のだろうか? そうではなくて安倍政権の足元を掬おうとしているのではないかしら。延いては日本という国家を毀損してしまうのではなかろうか。
安倍政権の足元をすくうつもりならばこれまで通りの活動をしていけば良さそうだ。
しかし、安倍首相の応援団として行動しようというのならば、全ての活動自粛が正しいように思える。
無論、照恵さんは安倍政権倒閣のために行動しようとしているとは思えない。しかし、大麻関係者との付き合いなど、危ない橋を渡ってきていることも確かだろう。一歩間違えば内閣など吹っ飛んでしまう。
本当に安倍首相を支えようと思っているならば、ゴミ出しを首相にやらせないで自らやるのが正しいと思うのですが・・・。
世間は安倍さんに何を期待しているかを聞いて伝えるのは正しい。でも、そこまででしょう。意見は一切、絶対に言わないこと。講演会に出席して発言をするなどもってのほかだ。口利きではないが、彼女の発言は総理大臣の後ろ盾を持っているがゆえと捉えられる。恐ろしい。

決して、「国、社会、弱者、世界の平和のために、お休みもなく日々頑張っている」などと言ってほしくなかった。全てが偽善で空しい響きでしかない。所詮は金持ちであり権力の後ろ盾をもった人間の上から目線でしかない。もし、ほんとうに国、社会、弱者、世界の平和のために、おやすみもなく日々頑張りたいのならば、政治家安倍晋三さんが、政治から引退した時を境にやり始めればよいと思う。その時は大いに寄付してまわるといい。

昭恵さんはこんなこともわからないような人なのだろうか?

長嶋茂雄さんのインタビュー対談(阿川佐和子の番組より) [日記]

何も悲しくないのに涙が出て来た話がある。

 およそ一年前、長嶋茂雄さんのインタビュー対談を見た時の話だ。知っている人もいるでしょうが、いい話。どうぞ聞いて下さい。
 それは、こんな話だった。

 彼は走攻守三拍子揃った選手だったが、意外や意外、彼自身は守備が好きだったという。どういうふうにボールを捕るか、常に考えていたという。それが高じてショートの捕るべき球まで捕ってアウトにするパフォーマンスまでやっていた、・・・長嶋さんらしい。
 また、隠れて練習をした話だとかしてくれた。そう、子供時代は竹でつくったバットで野球をやったそうだ。そういう景色はよくわかる。私はまだ子供だったけれど、物のない時代同じ空気を吸っていたんだなと改めて思い出しました。
 選手になってから敬遠が余りに多いのでバットを持たずに打席に立ったこともあったという。審判に注意されたそうだが、彼らしい。

 嫌いな人はいないというから本当に神様みたいな人だ。68歳で脳梗塞を発症してしまい、右半身が麻痺してしまったという。

 しかし、80歳になるこんにちに至るもかなり強いリハビリをして日々を過ごしているという。ほんのわずかでも進歩することが喜びだという。やはり長嶋茂雄は私たちのヒーローだ。

 彼が日々訓練をしている光景が脳裏に浮かんだ。どうやらこれが私を涙に誘ってしまったようだ。



言論の不自由の中で・・つぶやき(1) [日記]

時々思う。三権分立って何だろう?
きれい事だろう、と
だって、国会決議は誰のための政治か?と疑ってしまうし
行政はあちらこちらの顔を立てることが第一
そして、極めつけは最高裁判所
GPS違法捜査ということで、犯罪者が無罪となった。
この国はいったいどこへ向かっているのだろう?
最高裁判所は犯罪者を助けるための組織だろうか?
そういえば、韓国には『国民情緒法』という不文律の法律がある
それは、「国民の気持ちを忖度せよ」というもの。
アレ?
忖度?
どこかできいた言葉だな
国民情緒法というのは憲法よりも上位に位置する国民感情だ。
韓国はもとより法治国家ではない。
無論中国は言うに及ばず
ついに日本もそこまで堕ちたか!
日本の最高権力は、最高裁判所だった。

四月のカルテット [音楽活動]

3月19日、久しぶりにカルテットの集まりだった。
こじんまりとしているけれどね。
4月の練習日を決めました。
忘れないようにしてください。
4月29日(土曜日)午後1時から、昭和の日・・・祭日ですよぉ。

カラオケ実践奮闘記(5) [音楽活動]

録音してみた――

 これまで合唱練習を録音するためにしか使ったことのない録音機を持っている。
これをカラオケの音楽室に持っていった。どうなるかはわからなかったが、自動音量調節にセットしておよそ二時間半録音しっ放しにしてみた。
 終わって、帰宅後この録音を聴いてみた。驚いたことにとても良く録れている。自分の歌声も思った以上に上手なのには二度ビックリ!
 しかし、これには落とし穴があった。エコーである。地区センターは公共の施設なので多くのグループサークルが入れ替わり立ち替わり利用していて、毎月予約でほぼ一杯なのだ。それまで機械の設定などよくわからなかったので演奏の音量が余りに大きい時にボリュームを下げる位しかしてこなかったのだ。
 録音を再生してはじめてエコーの強さに気付いた。エコーがかかっていると何となく声に響きがあるように聴こえる。実際はそれほど声に響きがあるわけもなく、歌も上手いわけではない。
 このことに気付いてからは自然の状態に聴こえるまでにエコーを落とすようになった。
これでほぼまともに歌唱に挑戦できるだろうと思った。
そう、自分たちのうたう歌を進歩させる準備が出来たというわけだ。これからほんとうの歌の世界へと旅立とう。

カラオケ実践奮闘記(4) [音楽活動]

はじめての挑戦・・・『乾杯』・・・

 先ずはやらねば始まるまい。
 いくつか選んだ曲の中からはじめて取り組んだのは、長渕剛さんの『乾杯』という曲でした。この曲はあるときまで一度も聴いたことがなかった。何故この曲を選んだかというと、東日本大震災がきっかけでした。あのとてつもない被害のあと、災害復旧のために全国から自衛隊員が集められた。彼らは福島の原子炉は言うに及ばず、一般人の立ち入ることのできないような危険な地域でさえ足を踏み入れて国民のために働いてくれていた。仕事であるとか、任務であるなどという範疇を超えたところで働きを示してくれていた。

 そんな彼らのために慰問に出掛けていったのが長渕剛さんであった。隊員たちが集まった会場で彼らが互いに肩を組み高らかに歌っていたのが『乾杯』であった。
 このとき私ははじめてこの歌を聴いた。会場の熱気は彼らの感動の結果でもあった。テレビ画面でしか相対することのできない私ではあったが、その感動は充分に伝わって来た。
 かたい絆に 想いをよせて
 語り尽くせぬ 青春の日々
 時には傷つき 時には喜び
 肩をたたきあった あの日
 ・・・・・・・・・・・

 この詞を見るにつけ、ヒットした理由がわかる気がした。
 まさに、自分たち一人ひとりの人生に語りかけているではないか。
 この歌は私たちそれぞれの人生に対する応援歌でもあったのだ。

 人々に愛される歌というものは、聴く人の心に「癒やし」と「やさしさ」をもたらしてくれる。
これは『愛』だろうと思った。


 「J-POP」というのだろうか、独特の語り口調のリズムに対し、実力の伴わない私は手こずった。うたうに連れて、胸の奥にズンと響くこの歌詞により言葉を詰まらせてしまうこともしばしばであった。
 クラシックの歌曲などにはない、新鮮なものであった。

カラオケ実践奮闘記(3) [音楽活動]

似合う歌と似合わない歌

 うたっている皆さんに強要することはないのですが、本当は発声法がとても大切だと思っています。これを体得すれば呼吸法も改善され、健康増進につながることと思います。しかし、ご年配の方々は意外にこのことには興味がないようです。面倒くさいのでしょう。まあ、それでも多少はストレス発散の助けになるかと思うのでそれでも良いかとも思っています。
 ただ、いつか発声の大切さに気付いてくれればと思うことも事実です。
 「いいなぁ」と思う曲はたくさんありますが、ではそれらを自分が歌えるかとなるとか なり疑問です。還暦を超えたおじいさんがピンクレディーの『UFO』をうたっても様に ならないでしょう。
 問題はそこにある。
 人それぞれ似合う曲と似合わない曲がある。どんなにすてきな曲でも遠慮した方が良か ろうという曲があるものだ。譬えていうなら、スネ毛のぼうぼうに生えたオヤジが超ミニスカートを穿き、ピンクのタンクトップにピンクのスカーフを頭に被るようなものです。
 最近、テレビで見かけるリュウチェルとかいう男女(おとこおんな)のようなタレントの姿を見ると、「日本も終わりだ」と思う。反面、世界から「日本には自由がない」と言われているのが現状だから「いったいどこが? 国連は何をみて言っているのだろう?」とも思う。変な世の中だ。
 ここで考えるのが『自然に』ということだ。自然であればよい、ということ。何故なら 自然は不自然の反対を表しているから。
 自分というものを客観的にながめて、その中で許容する限度を見極めて曲を決めればよ いかと思うようになった。これで一つ問題が解決できた。
 そんな風に考えるとリュウチェルさんのDNAにとっては、あの姿が存外自然なのかも知れないと思うようになった。

カラオケ実践奮闘記(2) [音楽活動]

ショック!

 初めてのカラオケサークルの活動日。
私を含めて二人だけの参加。
しかし、淋しくも何ともありませんでした。
というのも二人とも歌が大好き。
防音の音楽室に入り、テーブル前に座るとリモコンを前にして互いに曲をどんどん登録していきました。
当時は記録を取ることなど考えていませんでしたからどんな曲をうたったかは覚えていませんが、当然知っている曲だったろうと思います。
何が何だか分からぬうちに予定の三時間は過ぎていきました。

 ただ、一つだけ嬉しいことがありました。
相方といっても私より三つ上の先輩格ですが、その方の歌で心にジンとくるものがありました。
「これだ、これなんだよ」と心の中で叫んでいたのです。
私の求めていた音楽は心に響く音楽
技術の難易度を競ったり一見高尚そうに見える音楽をうたったり演奏したりすることではないのです。
やってよかったと思いました。
 ところが受難といいましょうか、その次の回から私、風邪を引いてしまいました。それ が咳の出る風邪で、とうとうその年は歌うことが出来ませんでした。もっぱら聞き役にま わりリモコン操作をやっていました。
でも、少しも退屈しなかった。その頃は四名くらいで歌っていたので色々な歌を聴くことが出来てとても楽しかった。むしろ自分が歌わないことで人様の歌をじっくり観察できたのかも知れません。

 いつも人前で合唱指導をしていますので耳だけはよく働きます。
しかし、ここカラオケサークルではそれら歌声を良くしてやろうなどという心は少しも働きません。
うたう人それぞれの良さに耳を凝らして聴き入ることが楽しかったのでそれはそれは幸せでした。少々音を外そうがリズムを崩そうが、そんなことどうでも良い。気にならないんですね。
歌っている人が一生懸命歌うその姿の中に音楽の心があることがはっきりとわかったからです。人の心の底が見えてくるようでした。

 これまで歌好き、音楽好きの人々の中で暮らしてきましたがそれはほんの一部の人々。
潜在的にはもっとたくさんの人が、実は音楽が好き、けれどコーラスをやるほどではないという人の多いのには驚きました。

タグ:カラオケ

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